中途退学を考えている君へ

平成28年 女性(3)(全文)


『蒔(ま)かぬ種は生えぬ』 

 「これしかない。」
喘息(ぜんそく)の発作で苦しむ私に点滴(てんてき)を打ってくれる看護師さんを見ていつもそう思っていました。まだ『やりがい』という言葉の意味もよく分からないほど幼(おさな)かったはずですが、「こんな格好(かっこ)いい仕事をして多くの人を助けたい。」と漠然(ばくぜん)とそう思っていたのを今でも覚えています。

 小学・中学と成長するにつれて、世の中には多くの仕事があることを知っても、私にとっての憧(あこが)れは看護師であることには変わりはありませんでした。そして、看護大学へ進むのを目標に、当然のこととして全日制の高校へ進学しました。

 高校入学時には『看護師の道』、これこそが私の人生そのものだというゆるぎない確信(かくしん)を持っていました。そして、自分の思い描いたとおりの人生を歩んでいくと信じて疑(うたが)いもしませんでした。ましてや、この私が通信制課程の高校に転入するなんて思いもよらないことでした。

 最初に入学した高校では、とにかく看護大学進学に向けて脇目(わきめ)も振(ふ)らずに取り組もうと意欲に満ちていた矢先(やさき)のことです。

 それは突然(とつぜん)にやってきました。はじめは体調がおかしくなり学校を休むことが続き、登校できても教室に入るのがとても苦痛(くつう)になってしまい、そのまま家へ戻(もど)る日々が多くなりました。そして、完全な不登校になってしまったのです。 当然の結果として留年(りゅうねん)を告げられたとき、看護大学進学という目標がある私は、一つ年下の子と同じ席で学ぶことを新たに決意しました。

 幸いなことに、留年(りゅうねん)した年には素晴(すば)らしいクラスメイトと先生方に囲(かこ)まれました。しかし、「あの子は学校に行けなかった子だ。」とか、留年(りゅうねん)した私に周(まわ)りがとても気を遣(つか)っているのが負担で、さらに自分自身不登校になったことに自己嫌悪(じこけんお)を抱いているのが嫌(いや)でした。
 しまいには、誰にも知られたくない自分の短所や嫌(いや)な部分が皆に見透(みす)かされているのではないかと暗い気持ちになり、私のことを心配してくれる人にさえ恐怖心を抱(いだ)くようになりました。

 自問自答する中、私はこの学校で卒業するのは不可能だと、自分の状態を自ら受け入れました。

 みんなと一緒にこの学校で学びたい、卒業したいという気持ちがこんなにあるのに、クラスに入れずに立ち尽(つ)くして動けない、そして大学進学のためにはここで立ち止まるわけにはいかないという気持ちが入り乱(みだ)れ、八方塞(はっぽうふさ)がりのときに、担任から勧(すす)められたのが通信制高校でした。

 そして今、私は通信制課程の高校にいます。通信制課程へ入学してからの最初の1年間、たった1年ですが、私が得たものはとても大きく自分自身でも驚(おどろ)くほどのものでした。

 まず、生徒の年齢層(ねんれいそう)の幅広さによる刺激(しげき)は大きかったです。様々(さまざま)な年齢の人がいることは、入学前から知っていましたが、実際にその環境に身を置くと全然(ぜんぜん)違(ちが)うのです。いろいろな人が、働きながら子育てしながら、それぞれの事情を持ちながらも高校卒業を目指しています。そして、何よりも私と同じように大学、専門学校へ進学しようと努力している人が実際にいることは心強いものでした。

 週に一度のスクーリングだけで、それ以外は自学自習。それで大学進学することができるのかと不安なときが今でもあります。しかし、私と似(に)たような状況の仲間が多くいて、頑張(がんば)っている姿に勇気づけられ希望を持ち続けることができます。
 そして、2年次に進級できたという事実もまた、私に大きな変化をもたらしました。高校入学時にはまさか1年生を3回もやるとは思ってもよりませんでしたが、2年次に進級できるとわかったときは、高校生活で初めて何かをやり遂(と)げたという実感を得ることができ、ようやく次のステップへ進めるのだとほっとしました。

 2年次に進級した私は、人生初のアルバイトを始めました。他の人から見ればたかがそんなことと思うでしょう。しかし、学校に通えていなかったことに引け目があり、できれば外へ出たくない、友人に会いたくない私にとって『外に出て働く』ことは3年かけた大きな一歩でした。

 その一歩のおかげで、残りの高校生活でやりたいことが見えてきました。まさに視野が広くなったような感覚です。

『蒔(ま)かぬ種は生えぬ。』
 種を蒔(ま)かないと草木が生えないように、努力や行動を起こさなければ結果も生まれない。自学自習という通信制課程独自の学習法や学校生活だからこそ気づくことができました。
 夢を実現することは私には無理かとも脳裏(のうり)をよぎることはこれからもあるでしょう。
 それでも一度たりとも変わったことがなかった私の夢、『看護師』。これこそが私の未来。通信制課程に通うことでやっと芽吹(めぶ)いてくれたこの種をこの場で大事に育てます。そうすればきっと『私だけの実、誇(ほこ)れる実』が結ぶと思うから。