中途退学を考えている君へ

平成28年 男性(全文)


『苦難(くなん)こそが大いなるチャンス』

 私が幼い頃、家族は父のDVに苦しめられ母は身体を壊(こわ)し入院生活に入りました。父は生活費を自分の娯楽のために使ってしまい、家族は1日100円で生活する日、水だけで飢(う)えをしのいだ日もありました。

 そのうち母は精神的にも不安定になり、両親は離婚。私たち兄弟は親戚にそれぞれ預けられ、離ればなれになってしまいました。重症と言われていた母が奇跡的に回復し、退院することができました。4人兄弟全員で支えれば大丈夫だと考えていましたが、現実は残酷(ざんこく)なものでした。

 小学校4年生の頃、私は兄からDVを受けました。エアガンで撃たれるほどエスカレートし、体中アザだらけになりました。先生方から事情を聴(き)かれ、DVのことを告白すると兄は父の実家に引き取られ、私は児童施設に送還(そうかん)されました。1か月ほどで自宅に戻りましたが、自分の殻(から)に閉(と)じこもり、喜怒哀楽という感情が消えてしまった私は学校から遠のき、不登校のまま小学校を卒業しました。

 中学では心機一転(しんきいってん)学校生活を楽しみたいと思いましたが、現実はそう甘くはありません。家の中にも安息(あんそく)の地はありませんでした。母の病気が再発したのです。精神疾患(せいしんしっかん)を抱えた母は五分おきに暴言を投げかけるという毎日で、私はそんな母が憎(にく)く、人間不信となりました。

 生活のため兄や姉は高校進学を断念して働き、私は家事を担(にな)いました。友達と無邪気(むじゃき)に談笑(だんしょう)したり、スポーツに興(きょう)じたりすることもありませんでした。

 高校入学を試みましたが、当然受かるはずもありません。働いて家族を助けなければという思いが先に立ち、特にショックも覚えませんでした。

 まもなくホテルで清掃のアルバイトを始めました。母の入院費と生活費を稼(かせ)ぐ毎日で、夢も希望もありませんでした。「一生このような生活を続けていくのだろうか。」学校生活への憧(あこが)れを胸の奥深くに閉じ込めていた私。仕事の帰り道ホテルの送迎バスからいつも見ていたのは、制服に身を包んだ下校中の高校生たちの溌剌(はつらつ)とした姿でした。虚(うつ)ろに目を移すと、窓ガラスに映っていたのは人生に悲観した私の姿。「普通の家庭に生まれ育っていたら、今頃高校生活楽しんでいたのかな。」

 鬱々(うつうつ)とした日々を過ごしていたある日、転機(てんき)が訪れました。母の状態が安定し、退院することになったのです。入院費を払わなくて済むようになった時、兄弟が真っ先に言ってくれたのが「お前はまだ若いんだから高校に進学しろ、学費は俺たちが何とかするから。」という嬉(うれ)しい言葉でした。普通の人には当たり前に訪れる「高校進学」が私の人生にもやってきたのです。喜(よろこ)んだ私は仕事を終えた後中学の先生に頼み、毎日必死で勉強を教わりました。家族の支えもあり、定時制課程に入学することができました。

 正直、入学前の定時制高校のイメージはよくありませんでした。不良が多く、授業も全く進行しないほど荒(あ)れていると思っていたのです。しかしまるで違っていました。授業もわかりやすく丁寧で、まるで家族のようにあたたかく見守ってくれる先生方、私のような事情を抱えながらも真面目に勉強に取り組む仲間たち。その中で「この学校でなら変わることができるかもしれない。ここで思いっきり学校生活を楽しみたい。」そう思った私は、ある決心をしました。入学直後の先輩方との対面式で「必ず生徒会長になります。」と宣言(せんげん)したのです。アルバイトとの両立で過度(かど)の疲労(ひろう)を抱(かか)えつつも2年生の頃生徒会長に立候補し、当選することができました。生徒会活動は魅力あるものでした。卒業生激励(げきれい)スポレク大会や新入生歓迎(かんげい)球技大会など学校行事で大成功を収めることができ、仲間たちと大きな仕事を進めていくことの喜びを生まれて初めて経験したのも、相手の視点に立って物事を考えられるようになったのもこの時でした。部活動にも入部し、アルバイトの合間に毎日必死に練習したおかげで、今年の夏全国大会出場を果たすことができました。勉学に励(はげ)んだ結果、奨学生(しょうがくせい)にも選ばれ、漢字検定2級取得、善行(ぜんこう)賞受賞と学ぶことの喜び、努力することの大切さを日々実感しています。かつての私には信じられないことですが、大学への進学も決まりました。

 今、私には新たな目標があります。この国の社会システムや法律を学び、将来は政治家として私のように家庭的に恵まれない子どもたち、不登校の子どもたちを支援し、人生の希望を、夢に向かって挑戦(ちょうせん)する喜びを伝えたいと考えています。様々な苦難(くなん)を乗り越えた私だからこそ、高校定時制課程で学んだからこそ、そういう子どもたちに伝えられることがたくさんあると思うのです。

 先日、兄と食事をしました。兄のDVで苦しんでいたあの頃のことを吐き出すと、兄は涙し、謝(あやま)ってくれました。実は、兄も私たちの父親代わりとして家庭を守るため孤軍奮闘(こぐんふんとう)していたのです。姉は今の私の姿を見て、諦(あきら)めていた高校進学の夢を実現させました。現在母の調子もよくなり、私が大学進学を打ち明けると「あなたのために母さんも頑張るよ。」と笑顔で言ってくれ、胸が熱くなりました。

 家庭を呪(のろ)い、将来に絶望していた私でしたが、高校で人の温かさに触(ふ)れ大きく成長することができました。「苦難(くなん)こそが大いなるチャンス」その言葉を胸に感謝の気持ちを忘れず、未来に向かって邁進(まいしん)していきたいと思います。