中途退学を考えている君へ

平成28年 女性(1)(全文)


『生きる』

 「もう頑張らなくてもいいよ。」
母が泣きながら言ってくれたその一言がなければ、もしかしたら私は、生きることをやめていたかもしれません。

 穏(おだ)やかに過ごしていた私の人生が変わったのは中学3年生の頃。授業中に過呼吸を起こしたことが原因でした。今まで普通に出来ていたはずの呼吸が突然(とつぜん)出来(でき)なくなり、眩暈(めまい)、手足や唇の痺(しび)れ、胸には圧迫感や痛みなど、それまでにない感覚に、「死」の恐怖さえ感じました。自分が自分ではなくなるような感覚を、友人や先生など、周りの人たちに見られながら経験した私は、それ以来大勢の人がいる場所にいると、「また過呼吸を起こしてしまうのでは」「また周りに見られてしまうのでは」と怖くなり、教室にいることすら儘(まま)ならなくなってしまったのです。

 その頃の私は、周りから見たらそれはもう酷(むご)い状態だったと思います。以前のように頻繁(ひんぱん)に笑わなくなり、人に近づくこともやめ、ご飯を全く食べない。そんな私のことを友人や先生、家族といった周囲の人たちはとても心配してくれました。特に母は私のことをとても気にかけ、心を痛めてくれました。しかし、当時の私にはその心配が苦痛でした。「早く治(なお)せ」と言われているように感じてしまったのです。治(なお)さなきゃ。早く治(なお)して心配かけないようにしなきゃ。そう思えば思うほど焦(あせ)って、事態は悪化する一方でした。学校に行って過呼吸を起こして、家に帰る。中学校最後の1年はそんな毎日の繰り返しでした。

 その状況が簡単に変わるわけもなく、私は何一つ治(なお)らないまま、進学校で知られる高校に入学し高校生になりました。学校へ行って教室に入っても、クラスの人の多さに圧倒され、結局授業を受けずに家に帰る。自力で勉強しようにも、分からないことが多すぎてどうにもならない。私はどんどん学校という場所が怖くなっていきました。その頃心療内科に通い始めた私は医師に「パニック障害」と診断され、ようやく自分が病気を患(わずら)っていることを理解しました。病気や学校のことで苦しむ私に新しい選択肢をくれたのは、当時の担任の先生でした。「別に無理して3年で卒業することはない」そう言われたのです。「人生において人はいろんな事を経験していく。その経験がいつか自分のためになる。だから一回休んでみるのも一つの手だ」と。休んでもいいんだ。担任の言葉で決心がついた私は、高校入学後半年で休学しました。

 休学中は、とにかくストレスを溜(た)めず穏(おだ)やかに過ごし、時々人前に出るリハビリをするといった毎日でした。そのかいあってか、復学後は休学前よりも教室で授業を受ける回数が少し増えました。だからといってパニック障害が治ったわけではなく、やはりほとんどの授業は受けられる状態ではありませんでした。復学して1年半が経った高校2年生の後期、私はこれ以上高校にいるのは無理だと感じ、別の高校への転学を決意しました。「高校では友達もたくさん出来たし先生たちもいい人ばかりなのは分かっている。出来ることならこの高校で卒業したかったけど、今の私では無理だから、お願いします、別の高校に転学させて下さい」泣きそうになりながら母に告げると、母は目に大粒の涙を溜(た)め、頷(うなず)きながら「わかった。あなたがそう思っているなら転学しよう。今までよく頑張ったね、お疲れ様。もう無理して頑張らなくていいよ。これからのことはゆっくり考えていこう」そう言ってくれました。その時の私は本当に生きていることに疲れきっていて、全てをやめたいと思っていました。ですが、母の言葉を聞いて、私の心は救われました。無理して頑張らなくてもいい。それはまるで「生きていてもいい」と言われているようでした。

 平成28年4月。私は転学しました。今の生活は前の高校の時とは比べものにならないくらいゆったりとしていて、とても過ごし易いです。人数が少ないので教室を苦痛に思うこともなく、授業に集中出来ます。さらに、自分の時間をつくることが出来て今後のことを考える余裕(ようゆう)も出来ました。この高校に来て、私は久しぶりにゆっくり呼吸を出来たように思えます。ストレスがなくなったわけではありませんし、パニック障害が完璧(かんぺき)に治ったわけでもないので時々息苦しさや動悸(どうき)がしたりしますが、それでも以前よりは上手く病気と付き合えるようになりました。本当にこの高校に来てよかったと、心からそう思います。

 私は音楽が好きです。どんなに気分が落ちていても音楽を聴けば落ち着きます。だから将来は音に関わる仕事、音響関係の仕事に就きたいです。私が音楽に救われた様に、私も音で誰かを救いたい。そんなことを考える様になれたのもこの高校でゆったり過ごせるようになったからです。諦めず私に寄り添ってくれた母、親身になって考えてくれた先生、見放さないでくれた友人、私の周りのたくさんの方々に感謝しながら私は今日も生きていきます。